スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

13年 

皆様こんばんは。

昨日は書けませんでしたが、今日なら書けます。
現地にいたワケではなく、遠く遠く離れた場所で、報道を通してしか知る術がなかったコトですので。




1995年1月17日。
当時学生だった小生は、朝メシを作ってくれていたカノジョ(当時。後にヨメとなる)に起こされました。
「ねぇ、大阪がタイヘン。」

発生当初、関西で大地震とのニュースであり、神戸についての情報はほとんどなく、生粋の関東人でもあるカノジョや小生にとっては関西イコール大阪との認識でしかありませんでした。
朝メシをいっしょに食べながらニュースを見ていると、やがて神戸や淡路島で震度6であったコトが判りました。
カノジョは京都の大学へ通っていたのですが、どうも大学という場になじめずに退学して戻ってきていたので、「助かった…」などと言っていました。

ニュースを見続けると、被災した神戸の街が映っています。
立ち上る煙。
救急車や消防車の音。
でもいつまで経っても煙が消えないどころか、いつの間にか神戸の街が火に包まれていました。

どうしてもハズせない講義があったので、大学へ。
講義のアタマに、「神戸出身の方へ」と教授が話し始めたにもかかわらず、ペチャクチャ喋り続けて、教授および周囲の学生(もちろん小生もその一員)に怒鳴られて、泣きながら退場していったアホーな二人組がいました。
休み時間には長田出身の友人に実家はどうなんだと聞いたところ、力なく「連絡がとれねえんだ」と言っていました。

その後の政府の対策や報道のマズさについては、ちょっとググってみればお判りになると思いますので、ここでは言及しません。
あれ以降小生は社会党(現:社民党)と自民党には投票しておりません。
あれ以降筑紫哲也氏がキライです。

学生だった小生にできたコトは、募金するコトくらい。
震災5日後に行われたAJCCの馬連1-5¥10000(換金すれば¥680000)の馬券を、大学の兵庫県人会の部室へ置いてきました。
換金してから渡すのがスジだけど一刻も早く渡したかった、と無礼を詫びつつ渡したところ、「ちゃんと換金させてもらう」と言ってくれた、1コ上の先輩。
募金しかできない自分がもどかしくもありました。



現在の小生はシゴトで神戸近辺を訪れるコトが多いのですが、もはやあのニュースで移っていた燃えている神戸の街の印象は全くありません。
でも神戸を訪れるたびに、あのニュースのシーンが思い浮かびます。


95年、神戸を本拠地にしたオリックスブルーウェーブがパ・リーグで優勝しました。
袖に入った「がんばろうKOBE」の文字。
生粋の関東人である小生にとっても、イチローや仰木監督を含むブルーウェーブの選手たちはヒーローでした。

阪神競馬場が大打撃を受けたため、6月の宝塚記念は京都競馬場で行われました。
京都のレースにめっぽう強いライスシャワーが競走中にケガを負い、安楽死処分になりました。
小生の大好きだった、ダンツシアトルが優勝しました。

大相撲九州場所では兄弟横綱による優勝決定戦が行われました。
そういえば震災の直前にはラグビーで神戸製鋼が7連覇を成し遂げていました。

そして3月には、忘れてはいけない未曾有のテロが日本でも起こり…。

95年にはいろいろなコトが起こっていました。


神戸の人達は強いなあ、と心から尊敬しています。
それに対して、国の中枢でもある政府というか年寄りの政治家はホントに役立たずだなぁ、とも。
逆に命令が出ないコトに苛立ち、勝手に救援活動に動いた自衛隊の一部はブラボーですね。
勝手に動かしたコトでお偉いさんは左遷させられたらしいですけれど。
そう考えると、中枢で権力だけを握っている役人ってのはクズですね。
この国は大丈夫なのでしょうか。


スポンサーサイト

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。